18歳の自覚

クレイグと僕は、今日で18歳になりました!イェーイ!!

頭の中にはいろいろな思いが巡っていますが、将来の不透明さや、これから自分に求められる自覚とは何かについて考え始めています。今日は、そのあたりの考えを少し掘り下げてみようと思います。

目の前には、おそらく来たる選挙に向けての準備ということでしょう、地元の選挙管理委員会から届いた投票用紙の見本があります。これを目の前にして、今度の選挙で投票できることに気づきました。大人の責任を背負う日がやってきたのです。

ふと、家族との食事中によく話題に上るエピソードが頭に浮かびました。父はそれを「クラスアクト(あえて訳すなら、『立派な行動』でしょうか)」と呼んでいます。

僕は、その出来事に立ち会ったので、その時の状況をお話ししましょう。

僕が仮免許を取ったばかりの頃です。父と一緒にサッカーの試合のため、カンザスシティに向かうところでした。4時間の長いドライブを予定していました。家の近くの見慣れた交差点に差しかかって車が減速した時、前の車が突然、大きなレンガ状の石の破片を避けて、ジグザグに進んでいくのが見えました。僕もハンドルを強く握り、その車の動きに合わせて瓦礫を避けました。

そして信号で止まっていると、反対車線に入ってきた別の車が、突然停まり、一人の女性が降りてきました。彼女は車から降りると、まず足でレンガを蹴って道の脇へ押しやろうとしましたが、あまりに重かったのか、屈んでそれらのレンガを一つずつ拾い上げて移動させ始めました。

そして僕たちは気づきました。——その女性はなんと、僕の『母』だったんです!!!

僕は窓を開けて叫びました。「ママ!」すると母は顔を上げて微笑み、「運転気をつけてね!カンザスシティに着いたら電話して!」と言って、その後も、他の車が何もせずに彼女を通り過ぎていったにもかかわらず、残りのレンガを片付け続けました。

その後のドライブで、父と僕はその出来事について話すのをやめられませんでした。もし僕が母の立場だったら、同じことをしていただろうか?と考えると、僕は正直なところ、「する」と断言する自信が持てませんでした。

翌日帰宅した時、母になぜあの時、車を止めてまで瓦礫を片付けたのか尋ねました。すると母は、自分の車がそのレンガの破片にぶつかって、腹が立ったからだと言いました。そして、きっと他の人たちも同じ目に遭うだろうと考えて、車を止めて片付けることにした、と話してくれました。母は苛立っていたにもかかわらず、20台か30台かの車が彼女の脇を通り過ぎていく中で、正しいことをしたのです。

この出来事は、僕の心に深く刻まれました。この経験から、真の「クラスアクト」とは、たとえ自身にとって不便であっても、他者のために責任を持つことだと学びました。

僕は、似たような車道での出来事を以前も経験しています。7歳くらいのことです。家族の車が追突され、犯人がそのまま逃げてしまったことがありました。僕たちが呆然とする中、近くにいたメルセデス・ベンツに乗ったドライバーが、犯人の車を追いかけ、911(緊急ダイアル。日本でいう「110番」と「119番」に当たる)に通報し、逃げた車を追跡してくれました。結局、彼のおかげで犯人は捕まりました。父が感謝を伝えると、そのドライバーは「市民として当然のことをしただけです」と謙虚に答えました。

これらの出来事を振り返ると、僕はたしかに学校内でボランティアをしたりしていますが、僕の責任感は、学校の外の広い世界にまでは及んでいないことに改めて気づかされました。たぶん、それはこれまで親に守られていたからだと思います。ですが、今この投票用紙を目にして、何かが変わったような気がしています。社会における今後の自分の役割を考え始める時が来たのです。これからは、母や、あのメルセデスのドライバーのように、より大きな善のために行動できる人になりたいと思っています。

今日の話はこれで終わりです。こうして自分の思いを振り返ってポスト記事を書いたところで、あとはただ18歳の初日を楽しんで、ケーキでも食べようと思います!

それでは、また!

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