バーバラ・ルーティ医学博士との夏:恵まれない人々に尽くす仕事を見学して
今日のブログでは、この夏に僕が見学させてもらった、バーバラ・ルーティ(Barbara Lutey)先生について書きたいと思います。
「やった!夏が来た!」 高校3年の終わり、期末テストやAP (Advanced Placementの略)試験、そして大きな英語のレポートが終わって、思わず叫んでしまいました。肩の荷が下りた一方で、これから始まるキャンプや州外でのサッカーIDキャンプ、医学部のラボでのインターンなど、ぎっしり詰まった夏の予定を思うと少し不安になりましたが、1つだけとても本当に楽しみにしていたことがあります。それがルーティ先生の仕事見学でした。
僕は小さな頃から、献身的な医師のあるべき姿に対してけっこう厳しい基準を持っていました。というのも、88歳で亡くなるまで患者のために一生を捧げた祖母をとても尊敬していたからです。僕は、東京にある祖母の家に9ヶ月住んでいたことがあり、その時に祖母が毎日自分をベストな状態に保つために厳格なルーティンを持っていたことや、患者さんに優しく接する姿を間近で見てきました。ルーティ先生は、僕にとって「真の奉仕」とは何かを教えてくれるもう一人の模範的な存在です。先生はプロボノ(社会貢献)クリニックで、低所得者や無保険者、さらにはホームレスの人たちを診察しています。僕はまだ夏の時点で18歳になっていなかったので、無料クリニックには同行できませんでしたが、ルーティ先生が行っている相談業務を見学することができました。
ルーティ先生の相談所は、これまで僕が見たどの場所とも違っていました。そこは、看護師も医療設備もなく、壁すらないただの倉庫のような空間で、小さな机と椅子が2脚―1脚はルーティ先生用、もう1脚は患者用―置かれているだけでした。
ルーティ先生との初日
ルーティ先生に同行した最初の日の体験をお話ししましょう。
初日を迎えるにあたって、ルーティ先生からは、ワシントン大学の医療キャンパス内にある地下鉄の駅で待ち合わせて、一緒にダウンタウンのクリニックに向かいましょう、と言われていました。僕の家族はいつも車で移動するので、地下鉄(セントルイスの公共交通)に乗るのは初めてでした。ニューヨークのようなアメリカの大都市や日本では、多くの人が通勤に電車やバスを使いますが、セントルイスでは公共交通機関の利用は地元チームの野球試合がある日のような混雑する日以外にはあまり一般的ではありません。地下鉄でルーティ先生と話しながら、今回の見学が一体どうなるのだろうと少し緊張しました。
初日は僕の予想をはるかに超える、緊張し通しの時間でした。ルーティ先生は何人もの患者さんを診察しましたが、特に印象に残ったのは銃に関する怪我で訪問した2人の患者さんです。1人は銃の柄で頭を殴られ、ひどい出血をしていました。もう1人は銃で撃たれた傷の経過観察で来ていました。これまで銃による被害を直接目にしたことがなかったので、衝撃的な体験でした。
プロボノクリニックの重要性
こうした患者さんたちは多くは医療保険がないので、適切な医療をなかなか受けられません。アメリカには、日本のように全国民をカバーする公的医療保険がありません。低所得者や高齢者、また障害者には国や州の運営する公的医療保険がありますが、国民の半数近くは、企業の提供する民間の医療保険に入っています。保険がないと医療費が非常に高額になり、診察だけで1回数百ドル、検査やX線を含むと、千ドルを超えることもあります。ルーティ先生は、見落とされがちな人々に医療アクセスを提供している稀有な存在です。
この夏僕が見学したクリニックでは、ルーティ先生が直接患者を診療するのではなく、コンサルテーションの形で患者のニーズを把握し、補助金を受けた診察所を紹介していました。ルーティ先生は、他の医師と連携し、患者が必要なケアを受けられるように電話でフォローアップをします。単に紹介するだけに止まらないこうしたきめ細やかな対応は、患者が最良の結果を得られるようにするためです。
帰り道は、バスを使ってワシントン大学の医療キャンパスまで戻りました。僕にとっては、これもセントルイスで初めての経験でした。バスでは患者の前では聞けない質問を先生にたくさんすることができました。その一つが、患者が救急ではなく先生のクリニックに来る理由についてです。ルーティ先生は、多くのホームレスは、十分なケアが過去に受けられなかったと感じており、医療制度に不信感を抱いていると説明してくれました。先生はクリニックをダウンタウンに設置することの重要性を強調して、患者が自分を訪ねるのではなく、自分から彼らの方へと出向く方が、より多くの人を治療できると話していたのが印象的でした。
ルーティ先生が医師となるまでの道のりと奉仕への思い
ルーティ先生が医師になるまでの道のりを聞いて感銘を受けました。先生はもともとNIH(米国国立衛生研究所)と呼ばれる連邦政府機関の図書館で司書として働いていましたが、医師を目指して猛勉強し、30代後半で医学部に進学しています。先生は、内科の研修医時代に低血糖に苦しむ糖尿病患者と出会い、その患者の冷蔵庫にはクルミとベーコン、そして半分残ったソーダしかなく、それも数日分の食料だと知って衝撃を受けます。この経験から、診察室を超えて、患者を取り巻く環境を含めて一人の人間として捉えることの重要性を学んだそうです。この出来事は先生が恵まれない人々に奉仕活動を始めるきっかけとなりました。現在、ルーティ先生は内科・呼吸器科医としての通常病院勤務に加えて、補助金で運営されるクリニックや相談クリニックをセントルイスの低所得者層に向けて提供しています。
夏の間、僕は週に1~2回ルーティ先生の元で見学を続けました。先生は長年培った医療関係者との関係を通じて、プロボノ活動をスムーズにクリニックを運営していました。
ルーティ先生との出会いは、僕にとってとても貴重でした。先生は患者に深い愛情を注いでおり、僕は先生の献身さと並々ならぬ決意に感心しました。そして、どうしてそこまで献身的に取り組めるのかと考えさせられました。何がルーティ先生をそこまで駆り立てているのだろうか、と。
そして、亡き祖母との会話を思い出しました。祖母に医師になった理由を聞いた時、クリミア戦争で負傷兵を救った看護師、フローレンス・ナイチンゲールの伝記に感銘を受けたからだと話してくれました。ナイチンゲールのように医療に向き合いたいという想いが、祖母の60年以上にわたる医師人生を支えたのです。
ルーティ先生の献身さの根幹には、研修医時代の、家に食べ物が全くなかった糖尿病の患者さんとの出会いがあるのかもしれません。先生は今でもその時のことを思い出すと辛いと話していました。奉仕活動においては、どんな困難な場面でも支えとなる「強固な思い」や、それをする「はっきりとした理由」が必要だと思います。ルーティ先生の無料クリニックの様子を紹介する動画を見つけました。2018年の制作ですが、先生の取り組みが上手く描かれていると思ったので、ぜひ見てみてください。
医学への興味と問い
僕は医学に興味がありますが、医師の道を志すべきかどうかを考えるとき、果たして自分もルーティ先生や祖母のように奉仕できるだろうかという疑問が頭をよぎります。正直なところ、まだその答えは出ていません。これからもこの問いには度々立ち戻り、時間をかけて考えていきたいと思います。ただこれだけははっきりとしています。それは「ルーティ先生は僕のヒーローだ」ということです。